終わりから始まる、大人のリアルな恋愛模様
多くの恋愛物語が二人の出会いや結ばれるまでの過程を描くのに対し、本作『ロスタイムに餞を』シリーズは、恋人たちの「別れ」という最も痛みを伴う瞬間から幕を開けます。これは、ありふれたロマンスの定石を覆す、極めて挑戦的で誠実なアプローチです。物語の中心にいるのは、長年同棲してきたカップル、尽(つくし)と桐生(とうい)。彼らの関係は、甘い恋のときめきではなく、積もり積もった不満とすれ違いによって、一度は終わりを迎えます 。
別れを決意したものの、日常のふとした瞬間に蘇る思い出の数々。二人で見たお笑い番組、お気に入りのキャップ、相手が苦手だった食べ物。未練を断ち切ろうとすればするほど、愛した記憶が溢れ出してくる様子は、恋愛の終わりを経験したことがある読者の胸を強く打ちます 。このシリーズが多くの読者から「リアルだ」と評されるのは、こうした恋愛の光と影、愛情と憎しみが同居する複雑な心理を、痛々しいほど丁寧に描き出しているからです 。
そして、本稿で主にご紹介する『ロスタイムに餞を Home and Away』は、その一度壊れた関係を乗り越え、再び共に歩むことを決めた二人の「その後」を描く、待望の続編です。これは単なる復縁の物語ではありません。失った時間と痛みの中から、本当の幸せとは何か、互いを尊重するとはどういうことかを学び、新たな関係性を築き上げていく「アフターラブストーリー」なのです 。本作は、恋愛の最も困難で、しかし最も尊い局面を描き出すことで、大人の読者に深い共感と感動を与えてくれます。
ココミ先生が描く、珠玉のアフターラブストーリー
本作は、繊細な心理描写と温かみのある作風で人気のココミ先生による、現代を生きる男性カップルのリアルな日常を描いたボーイズラブ作品です。そのクオリティは高く評価され、前作『ロスタイムに餞を』は「BLアワード2023」のコミック部門で6位に入賞するなど、多くのファンから支持されています 。
『Home and Away』は、その「待望の続編」として、一度別れを経験した二人がより深い絆で結ばれていく様を描く「アフターラブストーリー」として位置づけられています 。電子版には描き下ろし漫画が収録されていたり、初出時のカラーページが完全収録されていたりと、ファンにとって嬉しい仕様も魅力の一つです 。
| 項目 | 詳細 |
| 作品名 | ロスタイムに餞を Home and Away |
| 著者 | ココミ |
| 出版社 | 海王社 |
| レーベル | GUSH COMICS |
| ジャンル | ボーイズラブ、現代ドラマ |
| シリーズ構成 | 本作は『ロスタイムに餞を』の続編です |
この作品が単なる恋愛物語にとどまらないのは、そのテーマ設定にあります。多くのBL作品が恋愛の成就をゴールとして描く中で、本作は関係の「維持」と「再構築」という、より現実的で成熟したテーマに焦点を当てています。この「アフターラブストーリー」というコンセプト自体が、恋愛のファンタジーだけでなく、その先にある日常の営みや困難に真摯に向き合いたいと考える、成熟した読者層の需要に応えるものであると言えるでしょう。BLアワードでの評価は、こうした作風が多くの読者の心を掴み、現代のBLシーンにおいて重要な潮流となりつつあることを示唆しています。
一度の別れを経て、二人が紡ぐ新たな物語
物語を深く理解するために、まずは前作『ロスタイムに餞を』から続く全体の流れを追ってみましょう。
前作:4年間の愛と、その終わり
物語は、美容師の尽と小説家の桐生が4年間の同棲生活の末、破局するところから始まります 。世話焼きで尽くすタイプであった尽は、自由奔放でマイペースな桐生に振り回される日々に「我慢の限界」を感じ、一方的に別れを告げて家を出ていきます 。しかし、離れてみて初めて、桐生の存在がどれほど大きかったかを痛感します。一方の桐生もまた、尽を失った喪失感に苛まれながらも、不器用さゆえに素直な気持ちを伝えられません。「寝れない」という口実で尽を呼び出すなど、彼の行動はどこか空回りし、二人の溝は深まるばかりでした 。この時期の二人は、愛情が残っているにもかかわらず、互いを傷つけてしまうという、恋愛における最も切ない局面を体現しています 。物語は、桐生が最後の思い出作りのために提案した「デート」をきっかけに、二人がようやく本音で向き合い、互いの愛を再確認することで、再び共に歩む決意を固めるまでを描いています 。
本作:再構築される日常と、新たな試練
『ロスタイムに餞を Home and Away』は、そうして復縁した「元サヤカップル」の新しい日常から始まります 。一度は壊れた関係だからこそ、二人は過去の失敗を繰り返さないよう、「互いを尊重しつつ幸せに過ごしている」のです 。穏やかで幸せな日々が戻ってきたかに見えましたが、ある日、桐生の母親から届いた一通の手紙が、二人に新たな試練をもたらします 。それは、家族へのカミングアウトという、多くの同性カップルが直面する現実的な問題でした。
特に桐生は、過去のある出来事が原因で、母親に自分の恋愛について、そしてパートナーが同性であることを伝えられずにいました 。この外部からのプレッシャーに対し、二人がどう向き合い、乗り越えていくのかが本作の主軸となります。尽が桐生をどう支えるのか、そして桐生は自身の過去とどう対峙するのか。物語は、二人の絆が本物であるかを試すかのように展開していきます 。前作が二人の「内なる」問題を解決する物語であったとすれば、本作は再構築された関係性を武器に「外なる」世界へと踏み出していく、成長と挑戦の物語なのです。
不器用で愛おしい、対照的な二人の主人公
本作の魅力は、何と言っても対照的な二人の主人公、尽と桐生の人間味あふれるキャラクター造形にあります。
絆され系の世話焼き美容師・尽(つくし)
尽は、その名の通り相手に「尽くす」ことを喜びとする、面倒見の良い美容師です 。作中では「絆され系の世話焼き美容師」と表現され、恋人である桐生の生活を全面的にサポートしてきました 。彼は愛情を行動で示すタイプであり、その分、相手からの言葉や態度による明確な愛情表現を求めます。しかし、桐生のマイペースな性格からそれを得られないと感じた時、彼の愛情は燃え尽き、関係の破綻へと繋がりました。関係における役割は「攻め(seme)」とされています 。一度別れを経験した後の彼は、ただ尽くすだけでなく、自分自身の感情も大切にし、相手に求めるべきことは求めるという、より成熟したパートナーへと成長を遂げていきます。
奔放マイペースな小説家・桐生(とうい)
桐生は、才能ある小説家ですが、私生活では「ズボラ」で自己中心的とも言えるほどマイペースな人物です 。彼は「奔放マイペースな小説家」と評され、仕事に没頭すると周りが見えなくなる傾向があります 。言葉で愛情を表現するのが極端に苦手で、その「不器用さ」が尽を深く傷つける原因となりました 。しかし、彼の内面には尽への深い愛情が常に存在しています。尽のことを、無意識のうちに自分の「安全地帯」として頼り切っていたのです 。彼の言葉足らずな性格は、幼少期に言行不一致な大人たちを見て育った経験に起因するのかもしれません 。尽との別れを経験し、失うことの痛みを知った彼は、自分の気持ちを言葉にし、行動で示すことの重要性を学んでいきます。関係における役割は「受け(uke)」です 。
この二人の関係は、まさに「凸凹」です 。世話焼きな尽と、どこか危うげな桐生。一見完璧に噛み合っているようで、その性格の違いが最大の摩擦の原因ともなります。物語の核心は、この正反対の二人が、衝突を繰り返しながらも互いを理解し、関係を「チューニング」していく過程そのものにあるのです 。彼らの職業が、他者のために尽くす「美容師」と、自己の内面と向き合う「小説家」という対照的なものであることも、二人の本質を象徴していると言えるでしょう。
タイトルに込められた意味と、作品の持つリアリズム
本作の副題である「Home and Away」は、物語のテーマを深く理解するための重要な鍵となります。この言葉は元々、サッカーなどのスポーツで、自チームの本拠地(ホーム)と相手チームの敵地(アウェー)で試合を行う方式を指します 。このスポーツ用語を、ココミ先生は巧みに恋愛関係のメタファーとして用いています。
まず一つ目の解釈として、「Home」は二人が暮らす部屋、つまり彼らの関係性という閉じた世界を象徴し、「Away」は家族や社会といった外部の世界、そして彼らが直面する試練を象徴していると考えられます。前作で二人は「Home」での内紛によってチーム崩壊の危機を迎えました。そして本作では、再建されたチームとして、カミングアウトという「Away」の試合に挑むのです。この構造は、まず二人の関係性が盤石でなければ、外部からの圧力には耐えられないという、関係性の本質を示唆しています。
二つ目の解釈として、「Home」を安定と安らぎを与える尽、「Away」を自分の世界に閉じこもりがちな桐生と捉えることもできます。尽という帰るべき「Home」があるからこそ、桐生は安心して「Away」である創作の世界に没頭できたのです。しかし、そのバランスが崩れた時に関係は破綻しました。本作は、二人が互いにとっての「Home」でありながら、共に「Away」の試合に挑むパートナーシップを築いていく物語とも言えます。
この巧みなタイトルに象徴されるように、本作の最大の魅力は、徹底した「リアリズム」にあります。読者レビューでは「リアル」「生々しい」といった言葉が頻繁に見られ、多くの読者が登場人物の感情に強く共感しています 。長年付き合った相手の好きだった部分が、いつしか嫌いな部分に変わっていく感覚。別れた後に日常の些細なものから思い出が蘇る痛み。復縁しても、同じ過ちを繰り返さないために二人でルールを決めるといった具体的な努力 。これらは、恋愛をファンタジーとしてではなく、絶え間ない努力とコミュニケーション、そして「チューニング」が必要な、現実の営みとして描いているからこそ生まれる共感です 。本作が描き出すのは、魔法のような恋ではなく、傷つき、悩みながらも、懸命に愛を育もうとする二人の等身大の姿なのです。
心を揺さぶる名場面とキャラクターの魅力的な言葉
本作のリアリズムと感動は、読者の心に深く刻まれる数々の名場面と、キャラクターたちの飾らない言葉によって支えられています。
見所、名場面
- 桐生の不器用な「最後のデート」の誘い(前作より) 別れを受け入れられず、それでも尽への想いを断ち切れない桐生が、最後の思い出作りのためにデートに誘う場面は、多くの読者の涙を誘いました 。プライドを捨て、格好悪くても必死に繋ぎ止めようとする彼の姿は、言葉にしなくとも、その愛情の深さを雄弁に物語っています。彼の不器用さが、最も愛おしく感じられる瞬間です。
- 桐生の母親へのカミングアウト(本作より) 本作のクライマックスの一つが、桐生が母親に尽との関係を打ち明けるシーンです。緊張感の中、勇気を振り絞って真実を告げる桐生と、それを受け止める母親の反応は、読者の心を温かいもので満たします 。家族の愛の形を再確認させられるこの場面は、二人が個人として、そしてカップルとして大きく成長したことを示す、感動的なシーンです。
- 何気ない日常に溢れる幸せの描写 大きな事件だけでなく、復縁した二人が過ごす穏やかな日常風景も本作の大きな見所です。共に食卓を囲み、隣で眠りにつく。一度失いかけたからこそ、その何気ない日常の尊さが際立ちます。特に、ココミ先生が描く二人の柔らかな笑顔は、見ているだけで幸せな気持ちにさせてくれると評判です 。
心に残る、名言
- 「目が覚めて隣に君がいる、それがどうしようもなく幸せだ」 本作のキャッチコピーにもなっているこの言葉は、二人がたどり着いた幸福の核心をシンプルに表現しています。失って初めて気づいた、当たり前の日常にあるかけがえのない幸せ。この一言に、本作のテーマが凝縮されています。
- 「好きなとこ? 俺のことすげー好きって顔するとこ」 これは桐生のセリフです。言葉足らずな彼が、実は尽からの愛情をしっかりと受け止め、それを何よりも大切に思っていたことがわかる、非常に重要な一言です。彼の内面を理解する上で欠かせない、愛に溢れた言葉と言えるでしょう。
- 「お前のそういうところが大嫌いで、だけどどうしようもなく好きだった」 尽のこのセリフは、長期的な関係における愛情の複雑さを完璧に捉えています。相手の長所と短所は表裏一体であり、愛するがゆえに許せなくなる矛盾。この言葉は、本作が描く恋愛のリアリティを象徴しています。
作品をより深く楽しむための一問一答
ここでは、本作をこれから手に取る方や、さらに深く味わいたい方のために、よくある質問をQ&A形式でまとめました。
Q1: 前作を読んでいなくても楽しめますか?
A1: 本作『Home and Away』は続編にあたるため、物語の背景やキャラクターの感情の機微を完全に理解するためには、前作『ロスタイムに餞を』から順番に読むことを強くお勧めします。特に、二人がなぜ一度別れを選び、どのようにして復縁に至ったのかという前作の切ない過程を知ることで、本作で描かれる二人の絆の深さや、穏やかな日常の尊さが何倍にも感じられるはずです 。
Q2: この作品の最大の魅力は何ですか?
A2: 最大の魅力は、その徹底した「リアリズム」です。キラキラとした恋愛の理想だけでなく、長く付き合ったカップルが直面する倦怠期や価値観のズレ、感情のすれ違いといった現実的な問題を真正面から描いています 。登場人物は決して完璧ではなく、欠点も抱えた人間として描かれているため、読者はどちらかのキャラクターに強く感情移入し、まるで自分の物語のように感じることができます。恋愛の痛みも喜びも、その全てを真摯に描いた深い物語であることが、多くの読者を惹きつける理由です。
Q3: 作者ココミ先生の作風の特徴は?
A3: ココミ先生の作風は、繊細で丁寧な感情描写に特徴があります。セリフだけに頼らず、キャラクターの表情、視線、そして特に手の仕草などを通して、言葉にならない複雑な心情を巧みに表現します 。物語は派手な展開よりも、静かで心温まるエピソードを中心に構成されることが多く、登場人物たちが悩みながらも少しずつ成長し、人と人との繋がりを育んでいく様を温かい眼差しで描かれています 。読後にじんわりと心が温かくなるような、優しい読後感も大きな魅力です。
Q4: 「Home and Away」というタイトルにはどんな意味が込められていますか?
A4: このタイトルは、作品のテーマを象徴する多層的なメタファーです。一つには、二人の私的な空間である「家(Home)」と、カミングアウトなど社会的な課題に直面する「外(Away)」との対比を表しています。また、安定した基盤である尽を「Home」、自由で時に危うげな桐生を「Away」と見立て、二人の関係性のダイナミズムを象徴しているとも解釈できます 。過去(Home)を乗り越え、未来(Away)へ共に歩み出す二人の物語そのものを表す、非常に秀逸なタイトルです。
傷つきながらも愛を育む二人から目が離せない
『ロスタイムに餞を Home and Away』は、単なる恋愛の物語ではありません。それは、一度壊れてしまった信頼と愛情を、痛みを伴いながらも一つひとつ丁寧に拾い集め、以前よりも強く、しなやかな形へと再構築していく、二人の魂の記録です。ココミ先生が描くこの「珠玉のBL」は、愛が始まる瞬間よりも、愛が試され、育まれていく過程の尊さを教えてくれます 。
尽と桐生の物語は、決して平坦な道のりではありません。しかし、彼らが不器用にぶつかり合い、涙を流し、それでも相手の手を離さない姿は、私たちに愛とは何か、パートナーシップとは何かを深く問いかけます。物語の終わりには、この先も二人はきっと大丈夫だろうという、温かく「強い安心感」が読者の胸に残ります 。
もしあなたが、甘いだけの恋愛物語に物足りなさを感じ、もっと深く、心に響く大人のためのラブストーリーを求めているのなら、ぜひ本作を手に取ってみてください。そこには、コミュニケーションの重要性、互いを尊重することの意味、そして、ただ隣に誰かがいてくれることの、どうしようもないほどの幸せが描かれています 。尽と桐生が紡ぐ、リアルで愛おしい日々の物語は、あなたの心にも忘れられない温かい光を灯してくれることでしょう。


