「私」は本当に「私」なのか? 常識が覆る衝撃の幕開け
みなさん、こんにちは。漫画文化研究家として、日々数多の物語に触れている私ですが、久しぶりに「背筋が凍るような、けれど目を離せない」作品に出会ってしまいました。
私たちが当たり前のように信じている「自分」という存在。昨日の自分と今日の自分は同じ人間で、この手も足も、間違いなく自分の意志で動いている……そう信じて疑わない日常が、ある日突然、音を立てて崩れ去ったらどうしますか?
今日ご紹介するのは、講談社「ヤンマガWeb」で連載され、その独特な世界観と圧倒的な筆致でコアな漫画ファンを唸らせているダークファンタジー、『擬族(ギゾク)』です。
この作品は、単に「怪物が人を襲う」だけのパニックホラーではありません。人間に擬態する「擬族」という存在を通して、「人間とは何か?」「個としての意識とは何か?」という、哲学的とも言える問いを私たちに投げかけてきます。作者は、奇才・堅貝(カタガイ)先生。愛知県出身の先生が描くこの世界は、まるで粘膜のように湿度が高く、そして痛々しいほどに鮮烈です。
特に注目すべきは、主人公が「正義のヒーロー」として覚醒するのではなく、怪物たちの中ですら異端とされる「変異体(まがい物)」として蘇ってしまうという絶望的なスタート地点です。人間社会からはじき出され、かといって怪物たちの社会にも居場所がない。そんな極限の孤独の中で、彼が掴み取ろうとする「生きる意味」とは何なのか。
今回は、2025年11月20日に待望の第1巻が発売され、ますます注目度が高まっているこの『擬族』について、その魅力を余すところなく、かつネタバレには最大限配慮しながら、じっくりとご紹介していきたいと思います。記事の後半では、作品のコアなファンなら思わずニヤリとしてしまう「あのロックバンド」との関連性についても考察していますので、ぜひ最後までお付き合いください。
それでは、ヒトとヒトならざるものの境界線へ、足を踏み入れてみましょう。
物語の世界へ飛び込むための作品データ
まずは、この作品の基本的な情報を整理しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
| 作品名 | 擬族(ギゾク) |
| 作者 | 堅貝(カタガイ) |
| 掲載媒体 | ヤンマガWeb(講談社) |
| ジャンル | 群体ダークファンタジー / 青年漫画 |
「個」ではなく「群」? 既成概念を打ち砕く設定の妙
『擬族』は、現代の日本を舞台にした、異種族間抗争と個人の実存を巡るダークファンタジーです。「この町には、人のまがい物である『擬族』が潜んでいる」という不穏なキャッチコピーが示す通り、私たちの日常のすぐ隣に、人間に化けた捕食者たちがコミュニティを作って生活している世界観が描かれています。
本作の最大の発明は、敵対する怪物・擬族の正体が「単一のモンスター」ではなく、「ヒトではない生き物の群体(コロニー)」であると定義した点にあります。彼らは一見すると人間の姿をしていますが、その中身は無数の微小な生物が集合し、電気信号やフェロモンで連携を取ることで「人間という形」を維持しているに過ぎません。この生物学的アプローチが、従来の吸血鬼ものやゾンビものとは一線を画す、独特の生理的嫌悪感とリアリティを生み出しています。
ヤンマガWebでの連載は月曜更新で行われており、公開直後からそのハードな描写と、救いのない展開、そして時折挟まれる乾いたユーモアが話題を呼んでいます。特に、ネット上では「チェンソーマン」のような現代的なダークヒーロー作品や、「東京喰種」のような種族間の葛藤を描いた作品のファンからの支持が厚いようです。
絶望からの蘇生、そして始まる「変異体」としての旅
ごくありふれた日常を送っていた大学生・瓜生啓慈(うりゅう けいじ)。彼はある日、運悪く「擬族」同士の縄張り争い、あるいは捕食のための殺し合いに巻き込まれてしまいます。
人間の力など及ぶべくもない圧倒的な暴力の前で、啓慈は致命傷を負い、その命を散らします。……本来ならば、そこで彼の物語は終わるはずでした。
しかし、彼は死の淵から蘇ります。人間として奇跡的に助かったのではありません。彼を襲った、あるいはその場に居合わせた「擬族」の因子――微細な群体生物たち――が彼の肉体に入り込み、欠損した部位を補完し、彼を「再構築」してしまったのです。
意識を取り戻した啓慈は、外見こそ以前と変わらないものの、その中身が決定的に変質してしまったことに気づきます。彼はもはや人間ではありません。しかし、純粋な擬族になったわけでもありませんでした。
擬族たちの社会において、人間をベースに群体が融合した事例は極めて稀であり、あるいは忌むべきイレギュラーでした。彼は擬族たちから「変異体」と呼ばれ、同族として歓迎されるどころか、「まがい物の中のさらにまがい物」として排除される対象となってしまったのです。
人間社会に戻れば「怪物」として駆除され、擬族社会に行けば「汚染物質」として殺される。
「まがい物として生まれたなら、生きる意味はあるのだろうか?」
絶対的な孤独と、渇きのような生存本能に突き動かされ、啓慈はあてのない逃避行を始めます。その道中で出会うのは、同じく擬族でありながら彼に興味を示す謎の女性・夏目真緒(なつめ まお)。彼女との出会いは、啓慈に何をもたらすのか。そして、彼の体内で蠢く「群体」は、彼の意識をどこへ連れて行こうとしているのか。
異形の肉体と人間の心を抱えた青年の、血と泥にまみれた「自分探し」の旅が幕を開けます。
読む者の心を離さない、4つの「毒」と「薬」
本作『擬族』が持つ魅力は、単なるバトルの爽快感だけではありません。読者の心を深くえぐるような設定の妙と、緻密に計算された演出、そしてカルチャーへのリスペクトが随所に散りばめられています。ここでは、その魅力を4つの観点から深掘りしてみましょう。
「群体」という生物学的ホラーの到達点
多くのモンスターパニック作品において、怪物は「強い個体」として描かれます。しかし、『擬族』における恐怖の源泉は「集合体」であることにあります。
作中で描かれる擬族たちは、「ヒトではない生き物の群体」です。これは何を意味するのでしょうか。例えば、カツオノエボシというクラゲをご存じでしょうか。あれは一匹のクラゲに見えますが、実はヒドロ虫という小さな生物が多数集まって形成された「群体」です。それぞれが「捕食担当」「生殖担当」「浮き袋担当」といった役割を持ち、あたかも一つの生命体のように振る舞います。
『擬族』の恐怖は、このロジックを人間型生物に適用した点にあります。主人公・啓慈が感じる「自分の体が自分のものではない感覚」。腕を動かそうとしたとき、それは脳からの指令なのか、それとも腕を構成する微生物たちの「合議」による結果なのか。
この「個の喪失」に対する根源的な恐怖描写が、本作には徹底されています。戦闘シーンにおいても、腕が切断されればそこから無数の虫のようなものが溢れ出し、再び結合しようと蠢く。そのビジュアルは、グロテスクであると同時に、生命の執着を感じさせる一種の荘厳ささえ漂わせています。
読者は啓慈の視点を通じて、「私という意識は、脳にあるのか、それとも全身の細胞(群体)の総意なのか?」という、認知科学的な問いに直面することになります。この知的な恐怖こそが、本作を他のダークファンタジーから一頭地抜けた存在にしているのです。
「変異体」の孤独と「チェンソーマン」的乾いた空気感
SNSやレビューサイトでは、本作の絵柄や演出について「チェンソーマンっぽい」「藤本タツキ作品の影響を感じる」という声が散見されます。確かに、線画のタッチや、日常会話の最中に突如として訪れる理不尽な暴力、そしてキャラクターたちのどこか冷めた(ドライな)死生観には、現代の青年漫画のトレンドである「ニヒリズムと隣り合わせの日常」が色濃く反映されています。
しかし、『擬族』独自の色気は、その「湿度の高さ」にあります。乾いた暴力描写の一方で、啓慈が抱える悩みは非常にウェットで内省的です。
彼は「変異体」として、二重の疎外感に苛まれています。人間からは怪物と恐れられ、擬族からは「純度が低い」「汚らわしい」と蔑まれる。この「どこにも属せない」というマイノリティのメタファーは、現代社会において多くの人が抱える孤独感や、アイデンティティの揺らぎと共鳴します。
派手な必殺技を叫んで敵を倒すのではなく、生き延びるために泥水をすするような戦い。その惨めさの中で、ふと見せる啓慈の「人間らしさ」への執着が、読者の胸を打ちます。グロテスクな描写が苦手な人にはハードルが高いかもしれませんが、その先にある人間ドラマは、非常に普遍的で力強いものです。
文学的なリスペクトと「言葉」の力
作者の堅貝先生は、プロフィールにおいて好きな作品に恒川光太郎の『雷の季節のおわりに』や舞城王太郎の作品を挙げています。この情報は、本作を読み解く上で非常に重要な補助線となります。
恒川光太郎氏は、日本的な土着のホラーと異世界ファンタジーを融合させた、静謐で美しい作風で知られています。一方、舞城王太郎氏は、疾走感あふれる文体と、暴力的かつ形而上学的な世界観で読者を翻弄する作家です。
『擬族』には、この両者のDNAが確かに息づいています。
日常の隙間に潜む「異界」の気配(恒川的要素)と、啓慈が巻き込まれる理不尽でスピード感のある暴力、そして「生きる意味」を問う哲学的なモノローグ(舞城的要素)。漫画というビジュアルメディアでありながら、小説を読んでいるかのような「言葉の重み」や「行間の不穏さ」を感じさせるのは、こうした文学的素養が背景にあるからでしょう。
単なるアクション漫画として消費するには惜しい、読み込むほどに味がする「文学性」もまた、本作の大きな魅力です。
ロックバンド「THE BACK HORN」への愛が隠されたサブタイトル
ここで、音楽好き、特に日本のロックバンド「THE BACK HORN(ザ・バックホーン)」のファンなら思わず反応してしまう、ある「仕掛け」について触れておきましょう。
実は、ヤンマガWebで公開されている各話のサブタイトルを見ていくと、驚くべき法則性に気づかされます。
- 第2話:「カオスダイバー」(THE BACK HORNの楽曲『カオスダイバー』)
- 第3話:「アサイラム」(THE BACK HORNの楽曲・アルバム『アサイラム』)
- 第5話:「戦う君よ」(THE BACK HORNの楽曲『戦う君よ』)
- 第15話:「パルス」(THE BACK HORNの楽曲『パルス』)
- 第16話:「墓石フィーバー」(THE BACK HORNの楽曲『墓石フィーバー』)
- 第18話:「フロイデ」(THE BACK HORNの楽曲『フロイデ』)
そう、サブタイトルの多くが、THE BACK HORNの楽曲名と一致しているのです。これは偶然の一致とは考えにくく、作者である堅貝先生の強烈なリスペクト、あるいは作品のテーマソング的な意味合いが込められていると推測されます。
THE BACK HORNといえば、「生と死」「共生」「絶望の中の光」を歌い上げる、エモーショナルで退廃的な世界観が特徴のバンドです。その歌詞世界は、『擬族』が描く「異形として生きる悲哀」や「理不尽な世界への咆哮」と痛いほどにリンクします。
例えば、『戦う君よ』という曲は、孤独な戦いを強いられる者への賛歌ですし、『墓石フィーバー』は死生観をシニカルに描いた楽曲です。
各話を読む際に、そのサブタイトルと同じ曲をBGMとして流してみる。そんな楽しみ方ができるのも、この作品の隠れた魅力と言えるでしょう。作者がその曲に込めた意図を想像することで、物語の解像度が一段階上がるはずです。
異形の運命を背負う、歪で魅力的な登場人物
物語の中心となるキャラクターたちを紹介します。彼らの関係性は、単純な「仲間」という言葉では括れない、危ういバランスの上に成り立っています。
瓜生 啓慈(うりゅう けいじ):自己を見失った「テセウスの船」
本作の主人公。どこにでもいる平凡な大学生でしたが、事件に巻き込まれ、擬族の因子を取り込むことで一命を取り留めます。しかしその代償として、人間でも擬族でもない「変異体」へと変貌しました。
彼の最大の特徴は、その精神的な揺らぎです。肉体の大部分が「擬族」という別の生物に置き換わってしまった彼は、果たして以前と同じ「瓜生啓慈」と言えるのか。哲学で言う「テセウスの船(構成要素が全て入れ替わった時、それは元の物体と同じと言えるか?)」のパラドックスを、その身をもって体現する存在です。
彼は特別な正義感を持っているわけではありません。ただ「元の日常に戻りたい」「自分が何者か知りたい」という切実な願いだけを原動力に、過酷な運命に抗い続けます。その等身大の弱さと、極限状態で見せる生命への執着が、読者の共感を呼びます。
夏目 真緒(なつめ まお):啓慈を導く冷徹な「共犯者」
啓慈が出会う、女性の姿をした擬族。彼女は「変異体」となった啓慈に対し、敵意を見せることなく接近し、行動を共にします。
しかし、それは慈愛や友情によるものではないようです。彼女は啓慈を観察対象として見ているのか、それとも利用価値があると考えているのか、その真意は謎に包まれています。
人間社会に溶け込んで生活するための処世術を持ち、擬族としての「生き方」を啓慈に教えるガイド役でもありますが、時に見せる冷徹な捕食者としての側面は、彼女が決して人間の味方ではないことを思い出させます。啓慈にとって彼女は、唯一の理解者でありながら、いつ首元に噛みついてくるかわからない、最も危険なパートナーでもあります。
これで予習は完璧! 読む前に知っておきたいQ&A
作品を読み始めるにあたって、気になるポイントをQ&A形式でまとめました。
Q1: 原作となる小説やライトノベルはありますか?
いいえ、原作はありません。堅貝先生による完全オリジナルの漫画作品です。
そのため、「先の展開をネットで検索して知ってしまう」という心配がありません。毎週月曜日の更新日には、読者全員が同時に驚き、考察し、衝撃を受けることができます。この「ライブ感」こそが、オリジナル連載作品を追う最大の醍醐味です。今から読み始めれば、最前線でこの物語の行く末を見守ることができます。
Q2: どのような人におすすめの漫画ですか?
『擬族』は、以下のような要素に惹かれる方に特におすすめです。
- 異能力バトルよりも「生存競争」が見たい方: スタイリッシュな技の応酬よりも、泥臭く、痛みを伴うサバイバル描写が好きな方。
- 「人外」と「人間」の境界線に興味がある方: 『東京喰種』や『亜人』、『寄生獣』のように、人間社会に潜む異種族の葛藤を描いた作品が好きな方には深く刺さるでしょう。
- ダークで退廃的な雰囲気を好む方: 『チェンソーマン』や『ドロヘドロ』のような、グロテスクさとユーモア、そして哀愁が同居する世界観が好きな方。
- THE BACK HORNのファン: サブタイトルの元ネタを探しながら読むという、コアな楽しみ方ができます。
逆に、完全なハッピーエンドや、スカッとする勧善懲悪を求めている方には、少々刺激が強すぎるかもしれません。
Q3: 作者の堅貝先生とはどのような方ですか?
愛知県出身の漫画家さんです。
プロフィールによると、好きな作品として小説家の恒川光太郎氏(『雷の季節のおわりに』など)や舞城王太郎氏の名前を挙げています。これらはどちらも、現実と幻想の境界が曖昧になるようなマジックリアリズム的な作風や、独特の言語感覚を持つ作家です。『擬族』に見られる、不気味なのにどこか美しい描写や、読者の予想を裏切るストーリーテリングは、こうした文学的素養が背景にあるからでしょう。
新人離れした画力と構成力を持っており、本作が代表作になることは間違いないでしょう。
Q4: 映像化の可能性はありますか?(アニメ化の予定は除く)
現時点で公式な映像化の発表はありませんが、作品の性質上、実写ドラマや映画との親和性は非常に高いと感じられます。
現代の日本の都市を舞台にしているため、ロケーションのリアリティが出しやすく、かつ「擬族」のクリーチャーデザインは、最新のVFX技術を使えば非常に映えるはずです。
日常の風景の中に、違和感のある「群体」が混じっている……というホラー演出は、アニメ以上に実写の方が怖さが際立つかもしれません。もし実写化されるなら、R15指定クラスのハードな作品になることが予想されますが、それも含めて期待したくなるポテンシャルを持っています。
Q5: 「擬族」と「人間」の最大の違いは何ですか?
作中の描写から読み解くと、最大の違いは「個体」か「群体」かという点に尽きます。
人間は一つの脳、一つの心臓を持つ単一の生物ですが、擬族は無数の微小生物が集まって「ヒトの形」を演じているに過ぎません。
しかし物語が進むにつれて、「では、その群体が『心』を持ったらどうなるのか?」という疑問が湧いてきます。人間を真似ているうちに、人間のような感情や自我が芽生えてしまうのか。それとも、それはあくまで「擬態」としての演技なのか。この曖昧な境界線こそが、本作のサスペンス要素の核となっています。
偽りの肉体で、真実の生を掴み取れ
ここまで、漫画『擬族』の魅力を深掘りしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
「擬族」というタイトルが示す通り、この物語は「偽物(フェイク)」が「本物(リアル)」を問い直す物語です。
主人公の啓慈は、人としての肉体を失い、擬族としての純血性も持たない、徹底的な「偽物」として描かれます。しかし、だからこそ彼は、誰よりも切実に「本物の生」を求めます。その姿は、情報や虚構に溢れた現代社会で、自分の確かな輪郭を探してもがく私たちの姿と重なって見えるのです。
2025年11月に第1巻が発売され、物語はまだ始まったばかりです。啓慈と真緒の旅がどこへ向かうのか、そして彼ら「擬族」の正体とは一体何なのか。謎は深まるばかりです。
もしあなたが、ただの暇つぶしではない、心の奥底に何かが沈殿するような読書体験を求めているなら。
そして、THE BACK HORNの楽曲のように、魂を震わせるような「叫び」を聞きたいなら。
ぜひ、『擬族』を手に取ってみてください。
ページをめくった瞬間、あなたの隣にいる誰かが、今までとは違って見えるかもしれません。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう。


