閉塞した日常を破壊する「遺骨花火」という劇薬
2025年の漫画界において、これほどまでに静かで、かつ暴力的なまでに美しい「青春の終わり」を描いた作品があったでしょうか。講談社「モーニング・ツー」および「コミックDAYS」にて連載され、2025年11月に単行本が発売された『ランチユーインザスカイ』。多摩美術大学在学中(連載開始時)の鬼才・伊藤九氏が放つこの一作は、読む者の心臓を直接掴むような、鋭利な切なさを孕んでいます。
「青春」という言葉には、汗や涙、走る鼓動といった「生」のイメージが付きまといます。しかし、本作が提示するのは「死」です。それも、感傷的な死ではなく、物理的な「遺骨」としての死です。
主人公の南(みなみ)は、どこにでもいる鬱屈とした男子高校生。彼が出会ったのは、学校にほとんど来ない謎の同級生・喜多(きた)。この二人が交わした約束は、「おれの遺骨で、花火作ってほしいんだよね!」という、あまりにも突飛で、不謹慎で、しかし痛いほどに純粋な願いでした。
なぜ、彼らは「花火」を選んだのでしょうか。
花火は、火薬の爆発です。一瞬で燃え上がり、空を焦がし、跡形もなく消え去る。その刹那の輝きは、長く続く停滞した日常(ランチのような、ありふれた昼の時間)を「打ち上げる(Launch)」ための唯一の手段だったのかもしれません。
本作は全1巻というコンパクトな構成ながら、その中には「生と死」「静寂と爆音」「地上と空」といった対比が、計算し尽くされた構図で詰め込まれています。読者は、彼らの無謀な計画の共犯者となり、ページをめくるごとに、火薬の匂いと夏の終わりの風を感じることになるでしょう。
本記事では、この話題作『ランチユーインザスカイ』について、物語の核心に触れる考察を交えながら、その魅力を余すところなく解説していきます。ネタバレには配慮しつつも、単なる紹介にとどまらない、作品の魂に触れるような深度で掘り下げていきます。
『ランチユーインザスカイ』のスペック
まずは、本作の客観的なデータを確認しておきましょう。作品の背景を知ることは、物語をより深く理解するための補助線となります。
| 項目 | 詳細情報 |
| 作品名 | ランチユーインザスカイ |
| 著者 | 伊藤九(いとう きゅう) |
| 掲載媒体 | モーニング・ツー / コミックDAYS |
| 出版社 | 講談社 |
| 巻数 | 全1巻(完結) |
| 連載期間 | 2025年7月〜8月(コミックDAYS配信) |
| 単行本発売日 | 2025年11月21日 |
| ジャンル | 青年マンガ / 青春 / ヒューマン / 人間ドラマ |
著者・伊藤九氏について
著者の伊藤九氏は、本作の連載開始時、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に在籍していたという経歴の持ち主です。美大出身の漫画家は数多く存在しますが、伊藤氏の作風には、グラフィックデザイン学科出身らしい「画面構成の妙」が際立っています。コマ割り、余白の使い方、そして吹き出しの配置に至るまで、視線誘導が非常に洗練されており、読むというよりは「映像を見ている」感覚に近い体験を読者に提供します。
過去には「JUMP新世界漫画賞」や「JUMPトレジャー新人漫画賞」で受賞歴があり、『吸血ロマンス』や『三神は』といった読み切り作品で高い評価を得てきました。少年漫画の熱量と、青年漫画の文学性をハイブリッドさせたような独特の作風は、これらの新人賞時代から既に萌芽が見られます。
掲載誌「モーニング・ツー」の文脈
本作が掲載された「モーニング・ツー」は、『聖☆おにいさん』や『とんがり帽子のアトリエ』など、独創的でアートワークに優れた作品を多く輩出してきた媒体です。王道のエンターテインメントから一歩踏み込んだ、作家性の強い作品が許容されるこの土壌があったからこそ、『ランチユーインザスカイ』のような尖ったテーマの作品が世に出たと言えるでしょう。また、Web漫画プラットフォーム「コミックDAYS」での配信も行われており、スマホで読む縦スクロールや横読みのテンポ感にも最適化された作画密度が特徴です。
「ランチ」と「ランチ(発射)」のダブルミーニング
タイトルの『ランチユーインザスカイ』。一見すると、空でランチ(昼食)を食べるようなほのぼのとしたイメージを抱くかもしれません。しかし、物語の内容を知った後では、このタイトルが持つ真の意味に戦慄することになります。
Launch(発射)としての意味
英語の「Launch(ランチ)」には、「打ち上げる」「発射する」「(事業などを)立ち上げる」という意味があります。ロケットの打ち上げ(Rocket Launch)などで使われる言葉です。
本作における「Launch」とは、文字通り「遺骨を花火として空に打ち上げる」行為を指します。重力に縛られた肉体(遺骨)を、火薬の力で空へと解き放つ。それは、死者への弔いであると同時に、地上に残された者たちの魂の解放(ローンチ)でもあります。
Lunch(昼食)としての意味
一方で、「Lunch(ランチ)」という響きが持つ、日常的で平和なニュアンスも無視できません。高校生にとっての昼休みは、授業という拘束から一時的に解放される時間であり、友人と語らう日常の象徴です。
主人公の南は、鬱屈とした日々を送っています。彼にとっての日常は、味気ない「ランチ」の連続だったかもしれません。そこに喜多という異物が混入することで、彼の日常は「Launch(爆発)」へと変貌します。
この「日常(Lunch)」と「非日常(Launch)」の言葉遊び(ダブルミーニング)が、タイトルに込められた皮肉であり、祈りでもあると解釈できます。
2025年の「空気感」を切り取る
本作が描く閉塞感は、2020年代中盤の若者が抱えるリアルな感情とリンクしています。大きな戦争や災害のニュースが日常的に流れる中で、自分の将来に希望を見出しにくい感覚。かといって、劇的な不幸があるわけでもない「凪」のような絶望。
南の抱える「何も起きないことへの苛立ち」は、多くの読者が共感できる現代病理の一種です。そこに「死」という絶対的な終わりを持ち込むことで、逆説的に「今、生きていること」の輪郭を浮かび上がらせる。それが本作の構造的な狙いと言えるでしょう。
骨になっても、君と遊びたい
物語の舞台は、海に近い(あるいは広い空が見える)地方都市の高校。
主人公・南(みなみ)は、クラスの中で目立つこともなく、特別親しい友人がいるわけでもない、ごく普通の男子高校生です。彼は日々に対し、「つまらない」「何か起こればいいのに」という漠然とした願望を持ちつつも、自分から行動を起こすことはありません。彼の心は、曇天のように灰色に沈殿しています。
転機は、夏の花火大会の日に訪れます。
世間が祭りムードに浮かれる中、南は学校(おそらく屋上や静かな場所)で、一人の生徒と遭遇します。
彼の名は喜多(きた)。
籍はあるものの学校にはほとんど来ない、「幻の生徒」として噂される存在でした。
初対面の南に対し、喜多は唐突に、そして明るくこう切り出します。
「おれの遺骨で、花火作ってほしいんだよね!」
喜多は、自分が遠からず死ぬ運命にあることを、まるで明日の天気を話すかのように語ります。そして、自分が死んだ後、その骨を使って花火を作り、空に打ち上げてほしいと懇願するのです。
「なんで俺なんだよ」
南の当然の疑問に対し、喜多は明確な理由を告げません。しかし、喜多の瞳にある狂気じみた光と、死を前にしても損なわれない圧倒的な生命力に、南は次第に惹きつけられていきます。
法律の壁、技術的な困難、そして倫理的なタブー。
「遺骨花火」の実現には多くの障害があります。素人の高校生二人が、火薬を扱い、骨を砕き、空へ飛ばそうとする。それはあまりにも無謀で、危険な「夏休みの工作」でした。
しかし、南にとってこの計画は、退屈な日常を打破するための起爆剤となっていきます。
花火の製法を調べ、実験を繰り返し、夜の校舎や河原で密会を重ねる二人。
死に向かう喜多と、生を持て余す南。
二人の時間は、導火線が燃え進むように、確実に「その時」へと近づいていきます。
果たして、花火は上がるのか。
そして、喜多が本当に伝えたかったことは何なのか。
物語は、誰もいない夜空での「たった一発の打ち上げ」に向かって、疾走していきます。
『ランチユーインザスカイ』が読者の心を抉る5つの理由
本作が高い評価を得ている理由は、単なる「泣ける話」に留まらない、重層的な魅力があるからです。ここでは、その要素を5つの視点から深掘りします。
1. 「遺骨×花火」という科学的・詩的なメタファー
骨を花火にするというアイデアは、単なるフィクションのギミックではありません。実際、骨の主成分であるカルシウムは、燃焼するときに橙赤色の炎色反応を示します(花火のオレンジ色など)。
「命が燃える色」を視覚的に表現する手段として、花火はあまりにも適しています。
また、花火は「鎮魂」の意味合いを強く持ちます。日本の花火大会の多くが、お盆の時期や戦没者慰霊のために始まった歴史を持つように、火を空に送る行為は、死者の魂を弔う儀式そのものです。
喜多は、自分の死を悲しみの対象ではなく、「美」として完結させようとしました。ここに、彼のニヒリズムと、それ以上のナルシシズム、そして究極のロマンティシズムが見て取れます。
2. 多摩美出身・伊藤九氏の「余白」の美学
前述の通り、著者は美大でデザインを学んでいます。そのため、本作の画面構成は非常にグラフィカルです。
セリフで説明しすぎず、キャラクターの表情や、空の広さ、影の濃さで感情を語る手法が取られています。特に「空」の描写は圧巻です。モノクロの原稿でありながら、そこには夏の空の「青さ」や、夜空の「深さ」が確かに感じられます。
「ランチユーインザスカイ」というタイトルの通り、空はこの物語の第三の主人公とも言える存在です。広大な空の下で、ちっぽけな人間たちが足掻く姿を、俯瞰的な視点(ロングショット)と、感情に肉薄する視点(クローズアップ)を使い分けて描く手腕は、新人とは思えない完成度です。
3. 「南」と「喜多」の対比構造(バディの妙)
キャラクターの配置も絶妙です。
- 南(South): 暖かくあるべきだが、湿って停滞している。観測者。
- 喜多(North): 冷たくあるべきだが、熱く燃えている。実行者。名前の方角が対になっていることからも分かるように、二人は正反対の性質を持ちながら、磁石のように惹かれ合います。南は喜多の「死」を通して「生」を学び、喜多は南の「生(日常)」を通して「死(非日常)」を完成させます。この相互補完の関係性は、BL(ボーイズラブ)的な文脈で読まれることもありますが、それ以上に「魂の共鳴」を描いたブロマンス(Bromance)としての強度が非常に高いです。
4. 全1巻という「潔さ」が生む疾走感
本作は全6話、単行本1巻で完結しています。
長期連載漫画のような「引き伸ばし」は一切ありません。物語は、導火線に火がついた瞬間から、爆発するラストシーンまで、最短距離を駆け抜けます。
このスピード感こそが、青春の儚さを体現しています。だらだらと続く日常ではなく、一瞬で過ぎ去ってしまう夏。読者は、彼らの時間を追体験するように、一気に読み切らざるを得ません。
読後の「もっと彼らを見ていたかった」という喪失感すらも、作品の一部として計算されています。
5. 「死」を消費しない誠実さ
「余命もの」や「難病もの」は、しばしば「泣かせるための道具」として死を扱いがちです。しかし、本作の喜多は、決して可哀想な被害者としては描かれません。彼は自分の運命を受け入れ、むしろそれを楽しむかのように振る舞います。
その姿は痛々しくもありますが、同時に崇高でもあります。南もまた、安易な同情を寄せたりはしません。二人の間にあるのは、同情ではなく「共犯関係」です。
「死ぬから優しくする」のではなく、「死ぬから面白いことをやる」。このドライでパンクな精神性が、読者に湿っぽい涙ではなく、熱い涙を流させるのです。
空を目指した共犯者たち
物語を牽引する二人の主人公について、さらに詳しく解説します。彼らの言動の端々に、現代を生きる私たちが抱える葛藤が投影されています。
南(みなみ):キャッチコピー「どうせ何も変わらない」と諦めていた少年
本作の語り手であり、主人公。
特技もなければ、熱中できる趣味もない。学校では「空気」のように振る舞い、トラブルを避けて生きてきました。彼が抱えているのは、強烈な苦悩ではなく、真綿で首を絞められるような緩やかな閉塞感です。
「青春なんて、漫画の中だけの話だ」と冷笑していた彼ですが、喜多との出会いによって、その内面に秘められていた熱情が引きずり出されます。
花火作りにおいては、無茶な喜多の提案を現実的なラインに落とし込む調整役を担いつつ、最終的には誰よりもその計画の成功に執着するようになります。彼の変化こそが、この物語の最大のカタルシスです。
喜多(きた):キャッチコピー「死をエンタメに変えようとするトリックスター」
もう一人の主人公であり、物語の起爆剤。
学校にはほとんど姿を見せず、周囲からは「変人」「幽霊」と噂されています。
自身の死期を悟っていますが、悲壮感は皆無。「どうせ死ぬなら、派手に散りたい」という享楽的な思考の持ち主です。
一見すると身勝手で、南を振り回しているだけに見えますが、その言動の裏には「忘れられたくない」「誰かの記憶に爪痕を残したい」という切実な渇望が見え隠れします。
彼がなぜ南を選んだのか。その理由は物語の終盤で明かされますが、それはあまりにも人間臭く、愛おしい理由です。
彼のキャラクター造形は、どこか浮世離れしていながらも、死への恐怖という根源的な感情に裏打ちされており、圧倒的なリアリティを持っています。
『ランチユーインザスカイ』を読む前の疑問を解消
これから作品を手に取る方のために、よくある疑問や気になるポイントをQ&A形式でまとめました。
Q1: 原作はありますか?
いいえ、本作に小説などの原作はありません。伊藤九先生による完全オリジナルの漫画作品です。それゆえに、漫画という媒体の特性を活かした表現(コマ割りや絵の迫力)が物語と完全に一体化しています。
Q2: どんな人におすすめですか?
日常に退屈している人、短い時間で濃密な物語を摂取したい人、そして「ありきたりな青春もの」に飽きてしまった人におすすめです。また、美大生の作品らしいアーティスティックな感性に触れたい方にも最適です。逆に、痛快なハッピーエンドだけを求める方には、少し刺激が強すぎるかもしれません。
Q3: 作者は他にどんな作品を描いていますか?
伊藤九先生は本作が初連載となりますが、過去には「JUMP新世界漫画賞」などで受賞歴があります。また、本作の単行本発売に合わせ、SNS等で過去の短編「かないさん」などが話題となっており、こちらも非常に評価が高いです。気になった方は、作者のSNSや「コミックDAYS」の著者ページをチェックしてみると良いでしょう。
Q4: 恋愛要素はありますか?
明確な恋愛描写(カップル成立など)が主軸ではありませんが、二人の関係性には「友情」や「愛情」の枠を超えた、魂の結びつき(クソデカ感情)が描かれています。BLとして読むことも、純粋なバディものとして読むこともできる、受け手の想像力を刺激する関係性です。
見上げた空に、君の骨(ひかり)を探して
『ランチユーインザスカイ』という作品は、私たちに「終わりの迎え方」を問いかけると同時に、「今この瞬間の燃やし方」を教えてくれます。
喜多は、自分の体を花火に変えることで、南の記憶の中で永遠に生きることを選びました。
そして南は、その花火を見上げることで、止まっていた自分の時間を再び動かし始めました。
私たちが生きる日常は、劇的なことなど滅多に起こらない、退屈な「ランチ」のような日々かもしれません。けれど、その気になれば、私たちはいつでも心の中に導火線を見つけることができます。
誰かを強く思うこと。
何かに夢中になること。
たとえ無謀だと言われても、自分の信じる美しさを貫くこと。
それらはすべて、魂を空へと打ち上げる「Launch」の行為です。
全1巻、15,000字にも満たないセリフのやり取りの中に、一生モノの感情が詰まっています。
もしあなたが今、空を見上げることさえ忘れているのなら、ぜひこの漫画を手に取ってみてください。
ページを閉じた後、あなたの頭上には、今までよりも少しだけ高く、青く、そして美しい空が広がっているはずです。
そして夜になれば、星々の間に、彼らが打ち上げた一瞬の火花が、今も残像として焼き付いているのを感じられるかもしれません。
2025年の秋、最も心を揺さぶる「遺骨花火」の物語。
『ランチユーインザスカイ』、必読です。


