はじめに:定められた繁殖と死という結末へ
「永遠の命」を生きる吸血鬼と人間の恋。そんな使い古されたテーマに、生物学的な「繁殖」と「死」というルールを持ち込み、全く新しい愛の物語を構築したのが『黒薔薇アリス』シリーズです。
その完結編となる『黒薔薇アリス D.C.al fine』は、前作から続く謎をすべて回収し、彼らの命の旅路に美しい終止符を打ちました。著者は、『失恋ショコラティエ』や『窮鼠はチーズの夢を見る』など、綺麗事では済まされない人間の業を描き続ける水城せとな先生。
本作は、単なるファンタジーではありません。遺伝子を残すという生物の本能と、誰かを愛おしく思う心との葛藤を描いた哲学書であり、極上のエンターテインメントです。なぜ彼らは命を賭してまで恋をするのか。その答えを紐解いていきましょう。
『黒薔薇アリス D.C.al fine』基本情報
| 項目 | 内容 |
| 作品名 | 黒薔薇アリス D.C.al fine |
| 著者名 | 水城せとな |
| 出版社 | 小学館 |
| 掲載誌 | 月刊flowers |
| レーベル | フラワーコミックスα |
| ジャンル | ゴシック・ファンタジー / 少女漫画 |
| 巻数 | 全5巻(完結) |
| 電子版 | あり |
出版社を越え再始動した完結編の概要
『黒薔薇アリス D.C.al fine』は、2008年に秋田書店『月刊プリンセス』で連載された第1部『黒薔薇アリス』の正統な続編です。第1部の連載終了後、長い時を経て出版社を小学館に移し、『月刊flowers』にて奇跡の再始動・完結を果たしました。
タイトルの「D.C.al fine(ダ・カーポ・アル・フィーネ)」は、「曲の頭に戻り、終わりまで奏でる」という音楽用語。その名の通り、物語は主人公ディミトリの過去(1908年のウィーン)という原点(Da Capo)に向き合い直し、定められた繁殖と死という結末(Fine)へと突き進んでいきます。
第1部を読んでいなくても楽しめる構成にはなっていますが、物語の深淵に触れるには、シリーズを通した壮大なサーガとして読むことを強くお勧めします。
物語のあらすじ:繁殖へのカウントダウン
舞台は現代の東京・渋谷の路地裏に佇む洋館「静寂館(しじまかん)」。ここに住むのは、人間の死体を乗っ取り、養分として生きる「吸血樹(ヴァンパイア)」と呼ばれる男たちです。
彼らの生態は特殊で、人間の女性を「アリス」として選び、その女性と交わって種を残すと、オスの個体は枯れて死に絶えるという宿命を背負っています。つまり、彼らにとって「愛の成就」は「死」と同義なのです。
主人公のディミトリは、かつてウィーンで天才テノール歌手として名を馳せた吸血樹。彼はある事故をきっかけに、高校教師だった菊川梓(あずさ)の魂を、亡き恋人アニエスカの肉体に移し、「アリス」として覚醒させました。
静寂館にはディミトリの他にも、レオ、櫂(かい)、玲二(れいじ)という吸血樹たちが集い、誰がアリスの繁殖相手(=死にゆく者)に選ばれるかを競い合っています。彼らの首には「年輪」と呼ばれる寿命のタイマーが刻まれ、タイムリミットは刻一刻と迫っていました。
第2部となる本作では、過去の亡霊とも呼ぶべき人物、テオドールが現れます。彼はディミトリの人間時代の親友であり、かつてのアニエスカの婚約者でした。テオドールの来訪は、ディミトリが封印していた罪の意識を抉り出し、静寂館のバランスを劇的に崩壊させます。
アリスは誰を選び、誰の命を終わらせるのか。そして、残された者たちが紡ぐ「その後」の世界とは。すべての感情が交錯する中、運命の繁殖の夜が訪れます。
本作独自の魅力と際立つ特徴
1. 生物学的ロジックで描かれる吸血鬼
本作の最大の特徴は、吸血鬼を「魔物」ではなく「吸血樹」という未知の植物的生物として定義している点です。
彼らは牙で血を吸うのではなく、蜘蛛や蝶などの昆虫を使役して養分を集めます。また、パートナーとなる女性に不老不死を与えるための契約(剣と指輪)や、寿命を可視化する首の「年輪」など、設定が非常に論理的かつ視覚的に作り込まれています。
特に「繁殖=オスの死」という設定は、恋愛漫画の王道である「ハッピーエンド」の概念を根底から覆します。「愛する人と添い遂げる」ことが不可能であるからこそ、限られた時間の中で燃え上がる情熱が、読者の胸を締め付けます。
2. 水城節全開の「人間臭い」キャラクター
水城せとな作品の真骨頂である、一筋縄ではいかないキャラクター造形は本作でも健在です。
主人公のディミトリは、顔も才能も良いけれど、性格は傲慢で自己中心的。さらには元カノへの未練を引きずりまくるという、典型的な「ダメンズ」です。しかし、その欠点や弱さがあるからこそ、彼が時折見せる純粋な愛や苦悩がリアルに響きます。
一方のヒロイン・アリスも、単にか弱い乙女ではありません。自分の運命を他人に委ねず、論理的に考え、時に冷徹なまでの決断を下す強さを持っています。「選ばれる」のではなく「選ぶ」女性としての苦悩と覚悟が、物語に重厚感を与えています。
3. 過去・現在・未来が交差する構成美
『D.C.al fine』は、過去(ウィーン時代)、現在(静寂館での日々)、そして未来(次世代への継承)という3つの時間軸が複雑に絡み合います。
過去の因縁が現在の選択に影響を与え、その選択が未来の世代へと受け継がれていく。この壮大なサーガ構造は、個人の小さな恋物語を超えて、生命の循環そのものを描いていると言えるでしょう。読み終わった後には、一本の長編映画を見終えたような深い余韻が残ります。
個性豊かな主要キャラクター紹介
- ディミトリ・レヴァンドフスキ
本作の中心人物。1908年のウィーンで事故死した直後、吸血樹として蘇生。圧倒的な歌声とカリスマ性を持つ元テノール歌手。アニエスカへの執着とアリスへの愛の間で揺れ動きながら、自らの「種」を残す相手を求めます。 - アリス(菊川 梓)
元高校教師。教え子の命を救う代償として人間であることを捨て、アニエスカの肉体で生きる「アリス」となりました。理知的で母性溢れる性格。4人の吸血樹たちの中から、自らの意志で繁殖相手を選びます。 - レオ
静寂館のリーダー的存在。ディミトリとは最も長い付き合いであり、彼の良き理解者。大人の余裕と包容力を持ちますが、その裏には冷徹な計算も働かせることができる切れ者です。 - 櫂(かい)
現代的な若者の姿をした吸血樹。アリスに対して直球の好意を向けますが、どこか達観した視点も持っています。本作では物語の語り部的な役割も担い、結末を見届ける重要なポジションにいます。 - 玲二(れいじ)
他者の心を読む能力を持つ、無口でミステリアスな青年。その能力ゆえに孤独を抱えていましたが、アリスとの触れ合いの中で変化していきます。後半の鍵を握る重要人物です。 - テオドールディミトリの人間時代の親友。ディミトリと同じく吸血樹となり、少年の姿をした吸血樹エドと共に静寂館を訪れます。彼の登場が、物語を完結へと導くトリガーとなります。
- 山本 黎司(やまもと れいじ)
物語の終盤に登場する、アリスとディミトリの「種」を受け継いだ青年。人間としての記憶と、吸血樹としての本能の統合に苦悩します。
読者の疑問に答えるQ&Aコーナー
Q1: 原作となる小説やライトノベルはありますか?
いいえ、原作はありません。本作は水城せとな先生による完全オリジナルの漫画作品です。緻密に練られた世界観や設定の奥深さから「原作小説があるのでは?」と思われることも多いですが、すべて漫画のために書き下ろされたストーリーです。
Q2: どんな人におすすめの作品ですか?
以下のような方には特におすすめです。
- ハッピーエンド至上主義ではない方: 切なさや痛みを伴う愛の物語を求めている人。
- ゴシックな世界観が好きな方: クラシカルな洋館、ドレス、ウィーンの街並みなどに惹かれる人。
- 大人の女性: 10代向けのキラキラした恋愛漫画では物足りなさを感じる人。
- 思考実験が好きな方: 「もし自分がアリスなら誰を選ぶか?」と考えながら読みたい人。
Q3: 作者の水城せとな先生について教えてください。
1993年にデビューした実力派の漫画家です。初期は少女漫画誌を中心に活動していましたが、現在はジャンルを問わず活躍しています。
代表作には、ドラマ化された『失恋ショコラティエ』、映画化された『脳内ポイズンベリー』、BL作品の金字塔であり映画化もされた『窮鼠はチーズの夢を見る』などがあります。心理描写の鋭さと、人間の暗部を美しく描く手腕に定評があります。
Q4: タイトルの「D.C.al fine」にはどのような意図が込められていますか?
「D.C.al fine(ダ・カーポ・アル・フィーネ)」は、音楽記号で「曲の初めに戻り、Fine(終わり)の記号で演奏を終了する」という指示です。
このタイトルは、物語の構造そのものを暗示しています。第2部である本作は、第1部で描かれなかった「最初(1908年のウィーンでの出来事の真相)」に戻り、そこから逃げずに向き合うことで、はじめて「終わり(吸血樹としての生の完結)」を迎えられる、というメッセージが込められています。元歌手であるディミトリの物語にふさわしい、非常に詩的で意味深いタイトルです。
さいごに(まとめ)
『黒薔薇アリス D.C.al fine』は、吸血鬼というファンタジーの皮を被った、極めて人間的な「生と死」のドラマです。
永遠の命を持つ彼らが、なぜ死を選んでまで誰かを愛し、子を残そうとするのか。その切実な願いは、私たち人間に備わっている本能や愛の形と、何ら変わりがないのかもしれません。
ディミトリとアリスが辿り着いた答え、そして静寂館に残された者たちの未来を、ぜひその目で見届けてください。ページを閉じた後、タイトルの本当の意味を知り、静かな感動に包まれることでしょう。
もしこの記事で興味を持たれた方は、第1部『黒薔薇アリス』から順を追って、彼らの長い旅路を共に歩んでみてください。きっと、忘れられない読書体験になるはずです。


